陣屋小路標柱

江戸期の絵図

 中山道沿いの東老蘇公民館前の小路を古くから陣屋小路と呼んでいる。その突き当たりの当地に江戸時代根来陣屋があった。
 鉄砲の根来衆で有名な根来家始祖盛重は和泉国熊取谷(熊取町)中左近家出身で根来寺の僧であった。秀吉の根来寺焼き討ち後家康の家臣となる。数々の戦功をたて、大和・近江・関東に領地(知行所)を拝領し3450石の大旗本となる。当地が根来家の知行所となったのは寛永10年(1633)東老蘇686石西老蘇13石であった。
 元禄11年(1698)領地替で関東の1500石と愛知郡上中野886石、野洲郡五条・安治・富波沢700石とを交換、この時期当地に陣屋が設置され代官所を置いた。江戸期の絵図に陣屋が描かれている。
 東老蘇は代々坪田恒右衛門家が在地代官を勤めた。元禄13年(1700)四代正国は奥石神社旧拝殿と鎧・兜(現存)を、天明4年(1784)九代正武は参道の大鳥居(現存)を寄進する。福生寺の本堂は陣屋の書院を移築したものと言われている。
 幕末、各大名・旗本は財政的に破綻、江戸幕府は大政奉還し明治維新を迎える事になる。
                ~~案内版より~~

根来陣屋跡標柱

根来陣屋跡

陣屋小路